updated: 9/17/97


新大久保ジェントルメンをめぐる噂


梅津和時



最近、新宿、新大久保周辺ですさまじい話題の、あの『新大久保ジェントルメン』を今回、私のホーム・ページで取り上げてみよう。何しろここのところの奴らの人気ときたら半端じゃあない。新大久保サムデイに彼等が出演するときなど、そのまま客の行列が、山手線をグルッと一周してしまった、という噂まであるくらいだ。したがって、彼等の用心深さも、いつも尋常ではなく、ライブの時も控室にはいるまではしっかり変装してくるので彼等の素顔が見られるのは、ステージの上だけ、といった有様なのだ。一度など、アブドゥール・ワハハと丘野モーゼが、二人ともまるっきり私と同じ姿に変身して控室に入ってきたので急に梅津が3人になってしまって、大騒ぎになったこともある。グレート君とはまだ、直に会って話したことはなく、いつも彼からの一方的な電話ばかりで、ずうずうしくもライブのブッキングを頼んできたりする。演奏そのものはものすごく変化に飛んでいて、ゴージャスでパワフルでワンダフルでフレキシブルでハートフルでミゼラブルで、好き放題やっているのが大変好感がもてるのだが、彼等の秘密主義がどうにも私にはうさん臭くてしょうがない。今日は一つ、彼等を取り巻く話題からその素顔に少しでも迫れたら、と考えている。

新大久保ジェントルメンと私の出会い
彼等が何処で出会い、彼等のアジトが新大久保の何処にあって、あの高度な技術を何処でつけ、あの絶妙なコンビネーションを何処で体得したのか?今のところ何もわかっていない。グレートからの突然の有無を言わせぬ電話、私にとってそれが、全ての始まりだった。

「ハーイ、ウメヅサン、ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ、ワタシ、グレート・キントキ、イイマス。(電話の後ろで、アブドゥールが不気味なグリッサンドをヴィオリンで弾いているのが分かる。) ワタシ、スゴイバンド、ツクッタ。(どーん!がしゃーん!グダンとボーンがアクセントを入れる) アナタ、ゼッタイ、ムチュウニナル。(イゴールの華麗なピアノが聞こえてくる) コレ、ウケアイネ。ブッキング、アナタニタノムヨ。(タノムヨ・・・タノムヨ・・タノムヨ・と、ここだけエコーがかかっている。) アナタ、ブックスル、ワタシ、ヨロコブ。コレ、イイカンケイ。ワタシ、サックス、フク、トテモ、スゴイ。アナタ、イツカ、イラナクナル。(モーゼが葬々行進曲を弾き始める) デモ、イマ、アナタ、トテモ、ソンケイシテルヨ(葬々行進曲が急にメジャーに転調する)。 ダカラ、ヨロコベ。(ぱっぱかぱあ!) ハッハハ、ヨロコンダカ、ソウカ、ソウカ、ソレヨカッタ、ワタシモヨロコブ。デモ、ブック、シナイ、アナタ、ウナギニナル、(ひゅるひゅるひゅる) キオツケタホウ、イイヨ。コレホント、オドシ、チガウ。ソウ、ワタシタチノ、バンドノ、ナマエ、オマエ、シリタイカ? スバラシイヨ。インドジンモ、ビックリヨ。アット、オドロク、タメゴロ、ヨ。(ここでしばらく間をおいて、スネアのロールが聞こえてくる)ソノナハ、(じゃじゃーん!) シンオオクボ・ジェントルメン!」

まず、デビューは1996年8月5日。場所は新大久保サムデイ。彼等の名前からいっても、ここが一番良い、と判断したのだ。デビューからその衝撃は新大久保を超えて駆け巡り、早くもそのすぐ後の8月25日には本牧ジャズ祭に出演してしまっているから凄い。同年12月6日新宿ピット・インに登場。この頃までは、まだ私の曲とかをカバーして演っていた。97年に入ってからはひそかにリハーサルを積み重ねたらしく、めっきり新曲が増えてきた。3月28日サムデイ、4月8日ピット・インを経て、7月18日のピット・インでは「いったい何があったんだ!新大久保ジェントルメン。」(アンケートより)とお客たちはその急激なグループとしての進歩に素直に驚きの声を上げた。さらに同日、彼等は11月にレコーディングすることを表明。それにしてもまだライブをたった5回しか演ったことのないバンドに、すぐレコード会社が飛びつくなんて!そんなことからも彼等の凄さの一旦が分かるような気もする。

それではここで興味深いそれぞれのパーソナリティーに迫って見よう。
グダン・ラム男(Dr,Vo)をめぐる噂 カナダ生まれのジャマイカ人、インドネシアで小学校を卒業し、16歳までザンビアに滞在。17歳の時にはトップ・レゲエ・スターとしてネパールで絶大な人気を博す。マイケル・ジャクソンのツアー・メンバーに誘われるも腰痛のため若干マイケルより動きが遅れ、一緒にダンスを踊ることを拒否、メンバーからはずされるが、その後も毎週マイケルから花が贈られているらしい。ボブ・マーリーのヴォーカルの吹き替えもやっていたという噂もあるが、本人は「あんなかて、英語の発音、悪いことないちゃいおますでー。」と否定。今となっては真偽のほどは分からない。日本語に関しては天才少年らしく、「yoshimoto」のビデオ3本見ただけで覚えてしまった、という逸話の持ち主。という噂。

オカノ・モーゼ(Bs,Vo)をめぐる噂
両親共、現在なおイスラエルのホスト・クラブで働いているという、生まれながらのプレイボーイ。花言葉を全て誦じている。だが、彼の覚えた国の花言葉と、日本のそれは若干意味が違っていて、たとえば「菊」は「永遠の愛」、「ススキ」は「メイク・ラブ」だったりするので、彼がポケットに飾っている花も「君がこの世で一番」を表わす「彼岸花」の事が多い。生まれはもちろんパリ。少年時代をローマとヴェローナで過ごす。尊敬する人物は、ナポレオン・ソロとエルビス・プレスリー。エストニアのエルビス・コンテストでは堂々の2位に輝いた実績がある。趣味はプレイボーイらしくスカイダイビングとボンサイ。時として同時にやることもあるが、地上に降りたとき、盆栽の鉢が砕けているのがいつも悲しいが、彼のモットウは「はかなさ」だったりする。ちなみに彼の衣装は全て有名女優からのプレゼントで、靴下はオードリ・ヘップバーンが60年代に、パンツはブルックシールズが70年代に、ティー・シャツはブリジット・バルドーが90年代に贈ってくれたもので、彼は1日たりともそれらを脱いだことがない。という噂。

アブドゥール・ワハハ(Vln,Vo)をめぐる噂
本人の言によると、中近東1の石炭産出国だったオタ共和国の生まれ、とのことだが、オタ共和国自体1902年に地図の上から消えているので、これは非常に怪しい話である。ただ、オタの子供同様、首から青いヴァイオリンが生えているので満更関係が無いということでもなさそうだ。しかも、高度な現代医学の集大成とも言える外科手術によって、それを取り外し可能にしているということからも、彼の裕福さの一旦が伺える。オタの国王の末裔という噂もなまじ嘘ではないかもしれない。事実、彼はいつも練馬に停めたロールスロイスから、ママ・チャリで新宿に通ってきているし、顔も数億円かけて、尊敬する太田恵資に似せたとの噂もあり、先日も杉並区のある中華屋で梅津和時など、金でしか動かない町の一流ミュージッシャンたちを一晩もてなした、という情報も入っている。という噂。

イゴール(P,Kb,Cl,Vo)をめぐる噂
彼の携帯している巻物の家系図によると、彼の祖先はモスクワに住むロシア人で、チャイコフスキーにバレーを教えていた、と書かれている。彼の父親はヨーロッパ中を駆け回るオーケストラの指揮者で、ルゴールという。母親の名は長すぎてここには書けない。彼自身、幼少の頃、絵画をストラヴィンスキーに、作曲とピアノをヌレエフに、ダンスをコクトーに、詩をピカソに習ったという超エリートである。その後その才能を買われ、KGBに入り美人スパイとなり、ジェームス・ボンドの首に歯型を残したただ一人の男として、全ロシア中にその名を轟かす。最後の仕事はフランク・ザッパ氏の誘拐で、彼の言葉によると本物のザッパはまだシベリアで生きていて、コザックダンスを踊っている、とのことであるが、真相は闇の中である。その後、クレムリンで美しき天然をクラリネットで吹いたことから失脚、歌手としてイギリスに亡命、カルチャー・クラブを作る。以後数々の名前を使い分け、グリーン・ピースの一員として日本に着いたが、鯨の尾の身が好物になったことから新大久保に住み着いた。という噂。

ボーン(Per,Vo)をめぐる噂
彼の父親は生粋のアメリカ・カウボーイで、2挺拳銃の早撃ちの名手。あのローハイドでバッファローの役をやったこともある。母親はマリリン・モンローだったので彼の出生は秘密のままである。生まれてすぐ、彼はアマゾンで焼畑農業を営む叔父の家に預けられ、ペットのピラルクと共に川の中で半魚人として少年時代を過ごす。その後叔父の転勤の関係でエジプトでミイラ男をしばらくやっていたが、15歳の時単身ヒマラヤに渡り、あこがれの雪男になる。そこでトップ・レゲエ・スターのグダンに見い出されサイモンとガーファンクルに憧れてボーン・アンド・グダンを結成。しかし彼の人生を決定づけたのは、エベレストを十二一重で登って世間を驚かした一人の芸者であった。彼女は、西表山猫の住む標高1万メートルの美しい山、富士山や、桜の咲き乱れる日本橋のそばでスキヤキを三味線で弾きながらウィンド・サーフィンをするナウな若者、ガンダムを操りゴジラを倒したあと切腹して果てる、美しい武士道、といったものを彼に寝物語として話して聞かせたのである。彼は西ヘ西へと歩き続け、海は再び半魚人となって泳ぎ渡り、10年掛かりで新大久保に着いたのであった。という噂。

グレート金時(Reeds,Vo)をめぐる噂
彼がどこで生まれ、どこから来たのかという問題については未だにはっきりせず謎のままである。しかし、実は彼の名前自体にその謎が隠されているとみられるのだ。つまり、「グレートキントキ」は「グレーと金と黄」と解釈できる。グレーは霧の町ロンドン、金はあの黄金の町インカ帝国、黄は黄河に代表される中国を表わしているからだ。事実、彼の尻にはナスカの地上絵の入れ墨が施され、そのすぐ横にはシェイクスピアの一説が漢語で書かれている、と一緒に銭湯に入った者(彼はその話を私にこっそりと話した次の日、神田川で鰻に変身させられているのを発見された)の証言もある。彼の持っているサックスは、わざとらしく小汚く彩色してあるが、実はインカ帝国の王の持つ伝説の宝、「黄金の大きな曲がった笛」なのではなかろうか?そしててマウスピースはあのキング・アーサーのエボニーの杖を削ったものであり、リードは万里の長城を作ったさいに足場として使われた竹を加工したものなのである。しかし未だこれ以上の事は何も分かっていない、というのが現状なのである。という噂。

彼等についてのどんな情報でも構いません、どうぞ送ってきてください。もっと新大久保ジェントルメンを知りたい人のために、ライブ情報があります。


新大久保ジェントルメン・東京ほーぼーツアー

 9月25日(木) 新大久保サムデイ
10月 6日(月) 関内エアジン
10月 7日(火) 江古田バディー
10月 8日(水) 高円寺次郎吉
10月18日(土) 新宿ピット・イン



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